ABOUT

人形作家鶴巻三郎(1908-2005)
故郷に根差し、
新たな芸術を創造した紙塑人形作家

紙塑人形作家として知られる鶴巻三郎は、芸術活動の初期にあたる昭和4年ごろには花器の制作を行っていましたが、昭和8年ごろから独学で能面の制作に没頭します。昭和10年に染色工芸家である廣川松五郎の知遇を得て廣川家の書生となり、松五郎から近代工芸の基礎を学びました。その後、独自の技法による紙塑人形の制作を始めます。

昭和21年には日展に出品した『せんこはなび』が、日展の工芸美術部門において人形として初となる特選を受賞しました。それまで、主に飾り物とされていた人形が芸術として評価された瞬間でした。また特選受賞に加えて、三郎が地方在住であったという事実も当時の日展において話題となりました。三郎は人形を芸術の域まで高め、日展特選を受賞した後も精力的に、より抽象的な人形を制作していきます。

三郎はその後も様々な作品を制作し受賞を重ね、紙塑人形作家としての地位を確立しましたが、制作活動だけではなく、郷土の文化芸術の振興にも尽力しました。三条市民の作品発表の場として「三条市美術展」の創設に尽力したほか、新潟県美術家連盟初代理事長に就任した際には、県内初となる美術家主導の展覧会(芸術祭美術展、通称芸展)の開催に貢献しました。


HISTORY

1908年(明治41年)

2月3日南蒲原郡三条町(現三条市神明町)に生まれる

1935年(昭和10年)

染色工芸作家廣川松五郎(東京美術学校(現東京藝術大学)教授)の知遇を得て廣川家の書生となり近代工芸の基礎を学ぶ
紙塑人形の製法を創始する

1940年(昭和15年)

紀元2600年奉祝美術展に『小松原』を出品し初入選する

1946年(昭和21年)

第2回日展に『せんこはなび』を出品し特選を受賞する。人形部門からの初の特選受賞であり、かつ地方から特選が生まれたことで話題となる

1949年(昭和24年)

新潟県文化祭美術展(現県展)委員に委嘱される
国立博物館主催 古代現代人形展に招待出品する
国立国会図書館主催 人形文化資料展に招待出品する

1951年(昭和26年)

サンフランシスコ図書館副館長ウイルス夫人と日本民藝館館長 柳宗悦の私邸訪問を受ける

1952年(昭和27年)

米国美術館主催 現代日本美術米国巡回展に招待出品する
第8回日展に『月』を出品し、東京都の買上げとなり、東京都美術館(東京都現代美術館)所蔵となる

1954年(昭和29年)

第10回日展に『砂上』を出品し北斗賞を受賞する

1964年(昭和39年)

昭和天皇へ『越後雪ん子春よ来い』を献上する

1965年(昭和40年)

日展審査員に就任する
現代工芸美術家協会評議員に就任する

1966年(昭和41年)

日展会員に推挙される

1972年(昭和47年)

昭和天皇へ『宵』を献上する
新潟県文化功労者知事表彰を受ける

1973年(昭和48年)

第28回新潟県美術展覧会(現県展)の初の三条巡回展の誘致に尽力し、実現する

1974年(昭和49年)

三条市文化功労者表彰を受ける

1978年(昭和53年)

新潟県美術家連盟初代理事長に就任する
勲五等旭日双光章を受章する

1979年(昭和54年)

三条市に働きかけ、三条市美術展を創設する
内閣総理大臣官邸において「昭和53年度芸術文化に活躍された人びととの懇親のつどい」に県内初の招待を受ける

1981年(昭和56年)

『人形有情』を刊行する

1983年(昭和58年)

現代工芸美術家協会理事に就任する

1984年(昭和59年)

第23回日本現代工芸展に『抱包』を出品し文部大臣賞を受賞する
三条市特別功労者表彰を受ける
新潟日報文化賞を受賞する

1989年(平成元年)

鶴巻三郎記念館を開館する

1991年(平成3年)

三条市美術協会を設立し初代理事長に就任する

1994年(平成6年)

三条市市政60年を記念して第16回日展出品作品『生母礼讃』を寄贈する

2000年(平成12年)

雪梁舎美術館で個展「創造の道程展」を開催する
日展出品作品『陽光』を新潟県へ寄贈する

2002年(平成14年)

9月9日三条市名誉市民(市町村合併後三条市名誉市民第5号)となる

2005年(平成17年)

6月12日逝去(97歳)


EXHIBITION

せんこはなび
せんこはなび
四人
四人