ABOUT
最後の瞽女
ハルは、三条市の信濃川沿いの農家で生まれ、生後まもなく白内障にかかり、両目の視力を失いました。2歳の時、父親が病でこの世を去り、母親は口癖のように「ハル、おら(私)が死んだら、お前は一人で生きていかんならねえ。辛いことがあっても辛いと言うな。腹減っても、ひもじいと泣いちゃならねぇ」と言っていたといいます。ハルは、5歳の時、村にやってきた瞽女の親方の弟子となりました。7歳の時から三味線の稽古が始まり、血のにじむような修行の日々を過ごし、9歳の時、初めて親方に連れられて旅(門付け)に出ました。足のマメが痛かろうが辛かろうが、ひたすら山谷を歩いて行く厳しい旅だったとのことです。
その後、30代、40代のハルは人に求められるままに唄い、どんな者も拒まず弟子として受け入れました。
昭和48年、ハルは78歳のときに瞽女を引退し老人ホームに入りました。
昭和53年、瞽女唄が「記録作成等の措置を講ずべき文化財」として選ばれ、ハルはその保持者に認定されました。これをきっかけに、再び三味線を手に取り、人々の求めに応じて精力的に瞽女唄の披露をし続けるとともに、後継者の育成にも力を注いだと伝えられています。
HISTORY
1月24日南蒲原郡旭村(現三条市三貫地新田)に生まれる
生後100日ほどで白内障のため失明する
瞽女の樋口フジ師匠に弟子入りする(瞽女名:スミ)
師匠とともに初めての門付けに出る
妹弟子トシ子と門付けに出る
フジ師匠を離れ長岡組のハツジサワ師匠に弟子入りする(瞽女名:チヨノ)
当時の大親方である長岡の山本ゴイ師匠の指導を受ける
サワ師匠と死別しハナヨを弟子にする
キイ師匠に弟子入りしヨシミを養女とするが死別する
キイ師匠から独立しミスを弟子にする
ミサオを養女に迎えて手引きとする
北蒲原郡笹神村(現阿賀野市)の出湯温泉を拠点に活動する
新発田市の養護老人ホームあやめ寮に入所する
養護盲老人ホーム胎内やすらぎの家に入所する
諸芸小劇場・耳承口伝「瞽女文学の夕べ」の芸術祭に参加する
文化庁より瞽女唄が記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択され、その保持者として認定される
黄綬褒章を受章する
新潟市と新発田市で「瞽女唄の夕べ」に出演する
皇太子、皇太子妃両殿下に瞽女唄『葛の葉子別れ』を披露する
36年ぶりに三条市の実家に墓参する
50年ぶりに山形県小国の山道を門付け姿で歩く
NHKラジオで『私とハルばあさん』が放送される
常陸宮、常陸宮妃両殿下に瞽女唄を披露する
13年ぶりに三条市を訪れ、初のふるさと公演を行う
『最後の瞽女 小林ハル 96歳の絶唱』がCD化される
百寿を祝う会が新潟市総合福祉会館で行われる
瞽女顕彰碑の除幕式が胎内やすらぎの家で行われる
9月6日三条市名誉市民(市町村合併後三条市名誉市民第4号)となる
第36回吉川英治文化賞を受賞する
103歳を記念した写真集『瞽女小林ハル 103歳の記録』が出版される
4月25日逝去(105歳)