ABOUT
日本画家
正巳は医家の長男として生まれましたが、歴史や絵画に興味を持っていたことから、家業を継がず画家を志望します。東京美術学校に入学し仏画模写などに励み、卒業後は同校の研究科に進んで、日本画家の松岡映丘に師事しました。卒業後は映丘の画塾でともに学んだ仲間とともに新興大和絵運動に参加し、伝統的な大和絵に近代的な感覚を取り入れることを目指しました。
正巳は当時、古典などを研究し、大和絵の中に出てくる風景の場所を実際に訪問し、体感しながら、現代の感覚で歴史風景を再現して描くといった新たな試みを行い、新興大和絵会や帝展などに作品を発表していきました。
その結果、帝展では特選を2度受賞するなど、画壇での地位を確立して、戦後は日展で要職をつとめながら制作を続けました。
時代とともに人々の意識が変わっていくなか、正巳の作品も日本画のルーツを求めるように、中国やインドなどを題材としたものへと変化していきましたが、一貫して温雅で格調高い日本画を描き続けました。
HISTORY
8月11日南蒲原郡裏館村(現三条市東裏館一丁目)に生まれる
川端画学校で日本画を学び寺崎廣業に指導を受ける
二松學舎で漢学を学ぶ
東京美術学校(現東京藝術大学)予備科入学
第3回東台画会展に出品した『残雪』が皇后宮職御用品として買上げとなる
小堀鞘音、松岡映丘の指導を受ける
この頃より多くの仏画を模写する
第3回東台画会展に出品した『残雪』が皇后宮職御用品として買上げとなる
小堀鞘音、松岡映丘の指導を受ける
この頃より多くの仏画を模写する
新興大和絵会を結成する
東京美術学校日本画科研究科修了
第5回帝展に『手向の花』を出品し初入選する
東台邦画会の結成に参加する
第9回帝展に『比叡の峯』を出品し外務省の買上げとなる
第11回帝展に『高野草創』を出品し初めて特選を受賞する
第15回帝展に『大和路の西行』を出品し特選を受賞する
国画院の結成に参加し同人となる
日本画院の結成に参加する
第8回日展に『秋好中宮』を出品し外務省の買上げとなる
第10回日展記念展に『夢の姫君』を出品する
外務省依嘱在外公館掛額として『禽舎』を制作する
三条市立図書館開館を記念して『さえずり』を寄贈する
第3回日展に『石仏』を出品する
前年日展出品作『石仏』により第17回日本芸術院賞を受賞する
インドへ取材旅行をする
同展に『黒い服の李さん』を出品する
三条市に『黒い服の李さん』を寄贈する
勲四等旭日小綬章を受章する
日本芸術院会員に推挙される
勲三等瑞宝章を受章する
世田谷区役所の企画で映画『せたがや文化人・人と風土 岩田正巳』が制作される
3月9日三条市名誉市民(市町村合併後三条市名誉市民第2号)となる
市政施行50周年を記念して『供養の女達』を三条市に寄贈する
3月9日逝去(94歳)